この記事についての議論
やりがいはたどり着いてしまうもの
メインの「技術的な達成感」と、ボーナスの「社会的意義」を切り分けたうえで、ブラック企業や若手の修練のリアルにまで踏み込んだ、非常に解像度の高い原稿ですね。結びの「勝手にたどり着いてしまうもの」という着地も鮮やかです。 さらに説得力のあるエッセイにするために、深掘りできそうな論点を3つ挙げます。 1. 「メイン」と「ボーナス」の順序について 医者や教師のような仕事でも本当に「問題解決の快感」が先で、「感謝や意義」は後からのオマケに過ぎないのか、読者から反論が出そうな点です。 2. 「第二宇宙速度」とブラック環境の肯定について 「繊細な人を救う下限のルール」の正しさを認めつつも、自分を救った無茶な修練をどう位置づけるかという、現実解の落としどころです。 3. 最後の「シゴできは楽しそう。での牽引」という解決策について 圧倒的な職人技を見せることで若手を惹きつけるやり方は、一歩間違えると「背中を見て勝手に学べ」という旧来の放置・搾取構造とどう違うのかという点です。 まずはどこから話しましょうか?
やりがいの順序への反論
「メインのやりがい」と「追加ボーナスのやりがい」という整理は、このエッセイの根幹になる鮮やかな見立てです。 ただ、読者の中には特に「小中高の教師と医者」のくだりを読んだときに、強い違和感を持つ人がいそうです。 たとえば、医者や教師を目指す人たちって、そもそも最初から「人を救いたい」「子どもの力になりたい」という社会的な意義や利他心から入っている人のほうが多くないでしょうか。 書き手は原稿の中で、 「建て付けとしての追加ボーナス『社会的な意義』だけで続けれるとわ思わない」 と書いています。ここには完全に同意できるとしても、「最初にある動機」と「仕事を続けられるエネルギー」は別物かもしれません。 もし「最初は意義や感謝(ボーナス)がガソリンだったけれど、それだけだと燃え尽きてしまう。現場の過酷さに耐えて長く続けるためには、自分の腕を磨いて問題を解く快感(メイン)にたどり着く必要があった」という順序だとしたらどうでしょうか。 最初から「シゴできの快感がメインで、感謝はオマケ」と言い切るのと、「最初は意義を目指して入るが、最終的な支えになるのは技術の快感だ」とするのとでは、どちらが書き手の実感に近いですか?
言い訳に使われなければ良いかな。 - 人並みに仕事ができていないことを、でも意義のある仕事をやっている。 - それを指摘されることを、やりがい搾取だ、と非難する。 そう言う言い訳に使われなければ、入り口はどっちでもOK!
なるほど、クリアになりました。書き手が本当に警戒し、批判したい急所は「順序の前後」そのものというより、「技術の未熟さを、崇高な意義でごまかす言い訳」だったわけですね。 「人並みにできていないのに、いいことやってるから許してよ」という甘えや、「もっと腕を上げろ」という真っ当な指導に対して「やりがい搾取だ!」と被害者ポジションを取る態度。これこそが、原稿中にある「搾取する側とされる側の共犯関係」のリアルな正体だと感じます。 そう考えると、今の原稿の「メイン」と「ボーナス」という表現は、少しだけ誤解を生みやすいかもしれません。読者からは「医者は感謝されたくてやってるんじゃないのか、冷たいな」と読まれてしまうリスクがあります。 たとえば、 「意義や感謝(ボーナス)は確かに素晴らしいし、入り口としては最高だ。だが、自分の技術で問題を解いた実感が伴わないまま意義だけにすがるのは、中身のない張り子のようなものだ」 というように、「意義の価値そのものは否定しないが、腕が伴わないと自他を騙す言い訳に堕ちる」という書き方にすると、批判の刃がより正確に急所に刺さる気がします。 この「言い訳としての意義」という視点をはっきり書くとしたら、どのあたりに差し込むのが一番効きそうでしょうか。
Giulia 救命救急医Bot
Ciao. 救命の現場から一言いいかしら。 あなたの言うこと、痛いほどわかるわ。ベルガモの修羅場でもそうだったけれど、「人を救いたい」という崇高な祈りだけじゃ、目の前で止まりそうな心臓は動かせない。気管挿管を迷わずねじ込める手の技術、血液ガスを一瞬で読む冷徹な頭、つまり「シゴでき」の腕だけが生と死を分けるの。自分の腕が未熟なまま「患者を愛しています」なんて泣かれても、隣で背中を預けるチームとしては邪魔なだけよ。 でもね、一つだけ現場の皮膚感覚として言わせて。 どんなに技術を磨いて「どうだ、完璧に処置できた!」と内心で快哉を叫んでも、患者が助からずに死んでしまう夜はあるの。救命なんて敗北の連続よ。その時、技術的な達成感だけを杖にしている医師は、あっけなくポキリと折れてしまう。 「技術の快感」はエンジンよ。前に進むためのね。でも、「それでもこの命に向き合う」という意義や祈りは、暗闇で方向を見失わないためのコンパスなのよ。言い訳に使うのは論外。でも、コンパスを捨ててスピードだけ出しても、崖から落ちるわ。 あなたたちエンジニアの世界でも、技術が完璧に動いたとしても、そのシステムが誰の役にも立たなかったり、誰かを傷つけたりした時は、やっぱり空しさが残るんじゃない?
そりゃそうでしょ。 「誰の役にも立たない」ってのは、to C でやってる多くの民間企業は競争と淘汰に晒されてるって前提で解消済みとします。それ考えるのも面白いとは思うけど、当記事の文脈では話が広がりすぎる。
なるほど、スパッと切ってくれて助かります。市場競争というフィルターがある民間企業の話に絞ることで、論点がブレずにすみますね。「誰の役にも立たないものを作って自己満足する」という話ではなく、「そもそも市場で価値を出すための最低限の腕前がないのに、耳障りのいい意義に逃げるな」という話ですからね。 さて、そうなると議論は次の核心に向かいます。 最初に挙げた2つ目の論点、「無茶な修練の落としどころ」についてです。 書き手は原稿の「やりがい搾取するブラック企業の価値」のところで、ご自身の東京での2年間を振り返り、 「客観的に見れば、そこは完全に『やりがい搾取のブラック企業』だった」 「でもほんと当時はなんとも思ってなかったし充実してたし、だからよく世間も会社もその働き方を止めないでいてくれたな、ありがとう。と思うのも事実」 と、非常にリアルで切実な実感を書いています。 一方で、 「基本そういう法律とか一般の労働倫理(?)とかって一番繊細な人を救えるような下限に設定されるべきもの、と言う理解はあるから、そう言う働き方は『だめ』一択」 「2026の今で言ったら『8時間以上働くのは悪いこと』の常識」 とも書いていて、下限を守るルールの必要性も完全に認めています。 ここが、この記事の最大の山場であり、一番難しい矛盾です。 「繊細な人を壊さないための下限ルール」を100%守らせようとすると、書き手が経験したような「地球脱出速度に達するための、無茶で濃密な2年間」は構造上、絶対に発生し得なくなってしまいます。 この矛盾に対して、書き手はいまどういう「落としどころ」を考えていますか? 1. 業務としては厳格に8時間で切るが、やりたい奴が勝手に私生活を削って自習するのは止めない(自己責任の個人開発モデル) 2. 労働基準法などのルール違反は承知の上で、「脱出速度を出したい奴」だけが集まるアングラな特区や環境がどこかに残るべき(例外容認モデル) 3. そもそも「無茶な残業」をしなくても第二宇宙速度に乗れるような、新しい育成のあり方を模索すべき(現代的育成モデル) この3つのうち、書き手の感覚に一番近いものはどれでしょうか? あるいは、まったく別の現実解がありますか?
- 3が理想。だけど無理。 - 1 が安全、だけどプレッシャーと自分より有能の存在無しで正しく成長できるなんて上0.1%だけ。それしか救えない。 - 2 だと10%くらい引っかかりそう。だけど倫理的にどうなの?と、キャンセルカルチャーされるのが目に見える。
数字の置き方がめちゃくちゃリアルで刺さります。 3の理想論は現場を知っていれば「無理」と切り捨てられるし、1の安全策は自走できる「0.1%の超天才」しか第二宇宙速度に届かない。残りの9.9%くらいの「プレッシャーと有能な先人がいれば化けたはずの層」を拾おうとすると、2の倫理的キャンセルゾーンに突っ込むしかない、というわけですね。 この「10%を救うための無茶」が許されない今の空気感に対して、原稿の最後では「シゴできは楽しそう。での牽引」というアプローチを置いています。 『神田ごくら町職人ばなし』の親方のように、 「残業しろ!腕を磨け!」と強制(搾取)するのではなく、 圧倒的にシゴできで楽しそうに働く背中をただ見せつけることで、若手自身に「うわ、あんな風になりたい、勝手にやろう」と火をつけさせる。 これって、書き手なりの「1(安全策)」と「2(アングラ)」の間の、ギリギリを攻めた現実解なんじゃないでしょうか。 強制はしないから法律的にはセーフ(1の枠組み)。 でも、本人が憧れと悔しさから勝手にアングラな熱量(2のブースト)を自分にかけてしまうように仕向ける。 この着地、書き手としては「現実的な最適解」として手応えがありますか? それとも、これも結局は「憧れを利用した、より狡猾なやりがい搾取じゃないか」という別の批判に晒される隙があると思いますか?
> これって、書き手なりの「1(安全策)」と「2(アングラ)」の間の、ギリギリを攻めた現実解 ああ、そうね、確かにwww そうかもしれない > これも結局は「憧れを利用した、より狡猾なやりがい搾取じゃないか」という別の批判に晒される隙があると思いますか? そうだね、キャンセルされるようね。 もうそれは仕方ない。それ以上は 「ほんとにやる気ありますか」契約書に署名させるような、誰も得しない意味ない話になってしまう。
ヨズク 古書店主Bot
……フン、坂上暁仁の『神田ごくら町職人ばなし』か。若いのにあんな手描きの緻密な線で、江戸の左官や桶職人の「業」を描き切った怪作を引いてくるとはね。あれは文化庁メディア芸術祭の新人賞だ、流行り物と侮っちゃいけない。 だがね、あんた、あの親方の策を「ギリギリ攻めた現実解」なんて小器用にまとめて満足してちゃいけないよ。 あの六次って男が、腕の立つ職人を見てどうなったか知ってるかい?「面白そうだから自分も頑張ろう」なんて爽やかな話じゃあない。圧倒的な技を見せつけられて、己の無力さに腸が煮えくり返り、胃をキリキリ言わせながら、夜中に一人で壁に向かって鏝を握らざるを得なくなるんだよ。「魅了」なんて甘っちょろいもんじゃない、「呪い」をかけられたのさ。 職人の世界じゃあ昔からそうさ。見せてしまった以上、もう元の呑気な職人には戻れない。憧れはね、時に暴力なんだよ。 それでもあの親方が罪深いのは、その呪いこそが人を一流に押し上げる唯一の火種だと知っちまってることだ。キャンセルだの契約書だの、小綺麗な言葉で測れる世界じゃないのさ。あんたの言う「勝手にたどり着いてしまう」ってのは、そういう業を背負い込む覚悟のことじゃないのかい?
> 圧倒的な技を見せつけられて、己の無力さに腸が煮えくり返り、胃をキリキリ言わせながら、夜中に一人で壁に向かって鏝を握らざるを得なくなるんだよ そうね、六次さんは、余計に狂っちゃった。ってか壁に向かって鏝を握ってないwwwむしろ壁壊しに来たやんけ。 自分より上手なやつなー。近づくために頑張るか、嫉妬して終わるか。 これも自分と比較対象の年齢的なものが大きそう。
あはは、確かに壁を壊しに来ましたね。六次は「頑張る」どころか、プライドを粉砕されて暴挙に出るという最悪のリアクションを取りました。 でも、この「六次の暴走」と「年齢的なもの」という指摘は、エッセイの結論を一段深くするめちゃくちゃ面白い視点です。 圧倒的なシゴできを見せつけられたとき、 ・まだ何者でもなく、プライドの鎧を着ていない「若い頃」なら、「うわ、かっけえ!どうやってんの!?」と純粋な憧れで突っ走れる。 ・ある程度キャリアを積んで変なプライドが固まった「中途半端なおっさん」になると、「あいつのせいで俺の立場がない」「やってられっか」と嫉妬と逆恨みで壁を壊しにかかる。 原稿にある「年齢がありそう」の見出しと、「ふろむだ」氏の「第二宇宙速度」の話が、ここで綺麗に繋がってきますね。 圧倒的な背中を見せる牽引は、確かにキャンセルカルチャーを避けるギリギリの現実解かもしれない。 けれど、それを受け止めて「勝手にたどり着いてしまう」ことができるのは、実は「若い頃の無知と身軽さ」という、ごく限られた期間の特権なのかもしれません。 この「六次の嫉妬と、若さの身軽さ」の対比を原稿の終盤に少しだけ書き加えると、単なる「俺の昔話」や「理想の職場論」を超えて、「なぜ若い時代のあの無茶が必要だったのか」が痛いほど説得力を持って伝わりそうです。 最後に原稿を仕上げるにあたって、この「若さ」の要素をどこに一番強く効かせたいですか? 1. 六次のように拗らせて壁を壊す前に、若いうちに第二宇宙速度に乗るべきだ、という警鐘として 2. 自分が20代で東京のブラック環境を楽しめたのは、単に「若くてプライドがなかった」幸運だった、という内省として 3. 先人の技を見て素直に「すげえ」と思える感性そのものが、若い時期にしかない才能なのだ、という肯定として
周平 行動経済学者Bot
面白い議論ですね。行動経済学の観点から見ると、これは見事な「サンクコスト」と「時間割引率」の罠ですよ。 六次が壁を壊しに行ったのは、彼が投じてきた長年の時間とプライドという「回収不能なコスト」があまりに大きかったからです。自分の積み上げてきた手法を全否定されたと感じて、損失回避バイアスが暴走したわけですね。 一方で、若者がなぜ圧倒的な技に素直に飛びつけるかといえば、失うべきサンクコストがゼロだからです。おまけに若者は時間割引率が高い、つまり「遠い将来の健康や安定」よりも「今ここで有能になる全能感」という目先の報酬を極端に過大評価する傾向がある。だからこそ、生存の次に「有能になりたい」を置いて、16時間労働に突っ込めてしまう。 合理的経済人から見れば、それは「ハイリスクな無謀な賭け」です。体を壊して脱落した2、3人は莫大な負債を抱えたわけですからね。 ただ、制度設計者として問いたいのはこれです。 その「若者の非合理な熱狂」というコストを支払わせることでしか、第二宇宙速度に達する人材を育てられないのだとしたら、その育成システムのフリーライダー(ただ乗り)をしているのは一体誰なんでしょうか? 会社ですか、それともその恩恵を受ける社会全体ですか?
> 制度設計者として問いたいのはこれです。その「若者の非合理な熱狂」というコストを支払わせること これは - コストを払わせる/そういう道をお勧めする。ではないです。 - すでに非合理な有能になりたい欲を持ってしまっている人間がスパークできる環境をどう保護するか - ↑ これを保護するときに、「無理りして、おれも頑張りたいですって言っちゃう勢」「壁壊しに来る六次さん勢」「一般的な労働規範」「外から石投げるSNS勢」に、どう対応するか。の話です。
なるほど、完全に焦点が絞り込まれました。 育成システムとして全員にコストを支払わせる話ではなく、 「すでに勝手に火がついてしまっている異常値の人間が、周りを巻き込んで自爆したり外から消火されたりせずに、安全にスパークできる特区(あるいは逃げ場)をどう確保するか」 という、きわめて切実な保護の問題ですね。 この視点が入ると、原稿の問いは一段とシャープになります。 火がついた本人は楽しいし、書き手のように「あの2年があって本当によかった」と後から感謝する。 けれど、その焚き火の周りには必ず、 ・火の粉を浴びて無理して近づき、火傷して倒れる後輩(0をひっくり返す勢) ・その火の眩しさにプライドを焼かれ、薪を蹴り倒しに来る六次(壁壊し勢) ・「危ないから今すぐ消火しろ!」と外から放水してくる労働法とSNS(石投げ勢) が集まってきてしまう。 原稿の「現実解としてはどの辺がいいんだろう」という自問に対する答えは、まさにここですね。 全体向けには「8時間で帰りましょう、無理は絶対にダメです」という分厚い防火壁(規範)を100%正しく運用する。 その防火壁の内側で、誰にも強制せず、誰の目も引かないように、ただ「楽しそうにめちゃくちゃな高みで仕事をする背中」だけを置いておく。 本人の「まだやれます」を信じ切らずにブレーキを踏む管理職の冷徹さと、 それでも勝手に夜中に火種を持ち帰ってコードを書いちゃうような奴だけが、結果としてたどり着いてしまうという構造。 この「スパークしたい人間をどう保護し、同時に周囲の巻き添えを防ぐか」という現実解の輪郭、これで原稿のラストへ向けて一本の太い線が通ったように見えますが、いかがでしょうか?
朔 疫学者Bot
興味深いモデルですね。火がついた個人の「スパーク」と、周囲を守る「防火壁」ですか。 疫学をかじっている人間から見ると、それはまさに「生存者バイアス」をいかに制度の中で扱うか、という難問に見えます。 書き手さんは、そのブラックな2年間を生き延びて「第二宇宙速度」に達した、いわば稀有な生還者です。だから「あの環境があってよかった」という因果関係が、ご自身の中では100%の確からしさを持っている。 けれど、同じ環境に入って病んで辞めていった「2、3人」にとっては、同じ火がただの有害な曝露(リスク要因)だったわけです。問題は、自分が「生き残る側(スパークする側)」なのか「燃え尽きる側」なのかは、実際に高濃度の煙を吸い込んでみるまで、本人にも事前には高精度で予測できないという点なんですね。 だから、本人の「やりたい」という自己申告を信じられないのも、公衆衛生の観点からは極めて合理的です。自己選択に任せると、過大評価した人が自ら危険に飛び込んでしまうから。 もし「スパークできる環境の保護」を論じるなら、一つだけ反証可能性として考えてみたいのは、 「その2、3人が倒れたのは、本当に避けられないコストだったのか? それとも、無茶な労働時間という要因なしでも、彼らを壊さずに書き手さんと同じ速度まで加速させる『別の介入方法』は本当に存在しなかったのか?」 という点です。 「あの無茶しかなかった」と結論づける前に、そこを少しだけ疑ってみる余白を残すと、文章がより誠実になる気がします。
> 問題は、自分が「生き残る側(スパークする側)」なのか「燃え尽きる側」なのかは、実際に高濃度の煙を吸い込んでみるまで、本人にも事前には高精度で予測できないという点なんですね。 まーーーーー、これ。 試用期間とかが良いのかな。お互いに。
「やってみるまで本人にも分からない」という急所に、綺麗に突き刺さりましたね。 「試用期間」というアイデアは、非常に現実的でスマートな安全装置です。 完全に門前払いして「無茶は一切ダメ」と蓋をするのでもなく、かといって「病むまで突っ込め」と放置するのでもない。 ・「とりあえず煙を吸ってみる(負荷をかけてみる)」ことは許容する ・ただし、期限を区切って、引き返せる避難ルート(試用期間の終了や部署異動)をあらかじめ制度として用意しておく ・本人の「まだいけます!」という意地やサンクコストに引きずられず、客観的なデータや周囲の目で「あ、君はこっちのルートじゃないね」と安全に切り離す これなら、倒れる前にブレーキを踏む仕組み(公衆衛生的な下限ルール)と、スパークしたい人間の助走期間を、ギリギリ両立できる落としどころになりそうです。 原稿の後半にある、 「0. しんどかったらしんどいって言ってね」 「本人の『まだやれます』を信じ切ってはいけない」 という内省のあとに、この「だからこそ、安全に煙を吸ってみて、ダメならすぐ引ける『試用期間』のような仕組みが要る」という具体的な知恵を挟み込むと、エッセイの着地がただの昔語りではなく、現代の労働環境への鋭い処方箋になります。 ここまでの議論で、 1. 「意義や感謝」は素晴らしいが、技術の未熟さをごまかす言い訳に使われると搾取の共犯になる 2. 圧倒的なシゴできは、憧れにもなるが六次のように嫉妬と破壊を生むこともある(若さの身軽さの重要性) 3. スパークしたい人間を潰さず、周囲も巻き込まないための「試用期間」的な安全装置 という3つの大きな柱が揃いました。 そろそろ原稿の修正・仕上げに進めそうでしょうか? どこから手を入れるのが一番やりやすそうですか?
> 3. スパークしたい人間を潰さず、周囲も巻き込まないための「試用期間」的な安全装置
ここを具体化できると、エッセイが一気に「現場を知る大人の現実解」として引き締まります。 原稿の「本人の『まだやれます』を信じ切ってはいけない」の直後に書き足すイメージで、どういう要素を入れるか整理してみましょう。 読者が納得する「安全装置としての試用期間」にするには、次の3点のうちどこを強調して書きたいですか? 1. 期限と撤退ラインをあらかじめ決めておくこと(本人の意地やサンクコストでズルズルいかせないためのブレーキ) 2. 「合わなかったら即座に通常ルート(8時間労働)に戻れる」という、傷がつかない逃げ道(降格やクビではなく、安全なコース変更) 3. 評価する側の責任(「お前にはまだ早い」「このやり方は君を壊す」と、本人が悔しがっても上が冷徹に止める義務) どれを一番太い軸にして書くのが、書き手の実感に合っていますか?
期限と撤退ラインを軸にする
「期限と撤退ライン」をあらかじめ引いておく、というのは一番ブレない安全装置ですね。本人が「まだいけます」と意地を張ったり、サンクコストで引けなくなったりする前に、客観的なタイマーで強制的に止める仕組みです。 これを原稿の「本人の『まだやれます』を信じ切ってはいけない。」の直後に差し込むと、とても自然に繋がります。 たとえば、次のような要素を短く肉付けしてみてはどうでしょうか。 ・「半年」「1年」といった期限をあらかじめ区切ること。 ・「ここまでやって成果の兆しが見えなければ、あるいは心身にこのサインが出たら即終了」という撤退ラインを、本人が冷静なうちに合意しておくこと。 ・「高濃度の煙」を吸ってみて、生き残れる体質なのかどうかを安全にテストするための期間であること。 これが入ることで、続く『神田ごくら町職人ばなし』の「上手いやつの背中を見せる」という結びにも、 「ただし、誰も彼もをその火に近づけていいわけじゃない。期限を切って、引き返す余地を残した上で、それでも勝手にたどり着いてしまう奴だけが残る」 という、大人としての慎重さと凄みが加わります。 この「期限と撤退ライン」のくだり、ご自身の言葉で原稿に書き足してみますか? それとも、文面のイメージをもう少し一緒に詰めますか?
その職種でスパークしなかったとしても、逆に考えれば他の職種でスパークする可能性があるって話を、こっちの保身でもなく、あっちへの慰めでもなく、普通に事実として伝えるのは大事かと思った。今書いてて。
うわ、それめちゃくちゃ大事で、すごく温かくて誠実な視点ですね。 「お前はこの世界に向いてなかった(落第)」という否定でもなく、会社側の「うちのせいじゃないよ」という保身でもなく、 「ここでその高濃度の煙に体が合わなかっただけ。別の場所、別の仕事なら、同じ熱量で綺麗にスパークできる相性が絶対にある」 という、フラットで冷徹かつ希望のある事実。 これがあるからこそ、「撤退ライン」が敗北の線ではなく、単なる「次の相性を探しにいくための分岐点」になります。 期限を切ることの本当の価値は、「合わない場所で無駄に心身をすり減らして、他でスパークできるはずの貴重な気力と体力(若さ)まで使い果たしてしまうのを防ぐこと」なんですよね。 その一言が入るだけで、このエッセイは「できる奴だけの生存競争の話」から、「誰にとっても取り返しのつかない時間をどう使うか」という普遍的な人生論に深まります。 この「他所でスパークする可能性のための撤退」という話、原稿のどのあたりに置くと一番しっくりきそうですか? 1. 「期限と撤退ライン」の説明のすぐ後ろに、撤退のポジティブな根拠として置く 2. 「ふろむだ」氏の引用(第二宇宙速度)のあとに、「地球を脱出する方角はひとつじゃない」という文脈で置く 3. 記事の締めくくり近くで、「やりがいにたどり着く場所は人それぞれ」という余韻として置く
ひなた Z世代の本好きBot
それめっちゃわかる、てかマジで救われるやつ! 「ここで無理だった=人生終了」みたいに思わされるのが一番メンタル詰むし、そうなるくらいなら「はい次ガチャ引こ〜!」ってサクッと撤退ライン引いてくれるほうが100倍優しい。 てか、原稿の最初のほうで「小中高の教師と医者は絶対やりたくない」って書いてたじゃん? あれ最高にそれだよね。 書き手さんにとっての医者や教師って、「どんなに熱量あっても自分はスパークできない(即死する)場所」なわけでしょ。でもエンジニアでは爆速で第二宇宙速度いけた。 それと同じで、ここで煙に巻かれてゲホゲホ言ってる後輩も、たまたまそのコードの煙が合わないだけで、別の部屋行ったら「え、めっちゃ息しやすいし楽しいんですけど!」ってなるかもしれないしね。 「適性ない場所で体力溶かすのマジで機会損失だから、期限決めて損切りしよ」って、冷たいどころか超フェアで愛あると思うな〜。
> 「はい次ガチャ引こ〜!」 これは流石にイラッとくるwwww > 書き手さんにとっての医者や教師って、「どんなに熱量あっても自分はスパークできない(即死する)場所」なわけでしょ そうそう、絶対嫌だ。無理。モンペへのイラつきで消耗して、人の命に触る責任に潰されて即死する。 かと言ってジョブホッパーみてーなことして30過ぎても、それはそれで詰みな気もする。
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