やりがいはたどり着いてしまうもの
「やりがい」と聞くと「搾取」が続くイメージがあって使いにくい。なんだが、 「やりがい」の言葉で表すのが楽で精度良い感じが確かにある。
飯食うためにやってる仕事で、最初は「だりーなー、早くおわんねえから八時間」ってやってんだけど、いつもの間にか「くっそこれもうちょっとこうしたいな」「おお、できた」「あら、2時間も残業してた」みたいな。 別にそれで給料上がるとか評価されるとかでもない。ただ自分1人がわかってる「よっしゃよっしゃできた」の満足。
今夜は心地よく寝られそうだ
で、それは個人と仕事の間に最初からあるものじゃない。 ある程度技術(ないし、シゴでき力)がついてきて、はじめて触れる感覚。 - X: やりがいのある仕事です - ◯: このくらいできるようになると、たぶんやりがい感じる仕事です。
例えば、自分だったら
絶対やりたくない仕事
小中高の教師と医者。やったことないから想像で。
モンペとクソ勘違いした生徒だらけの世の中で、責任重いしそんな給料高くないしすぐクレームくる教職。 一個判断間違ったら人殺す重責仕事、医者。 仮によっぽど頭と素行が良くて、その仕事につけたとしても、やりたくない。
でもそういう職種の人の書いた本を読んでると、「これ書いてる人、仕事好きなんだろうなー」と思うことがある。 実際文字としては「すげー大変なんす、マジむずいっす。できなかった、失敗したことに対する後悔ばかり」しか書いてないけど、行間から「でも、だからやりがいあるじゃん」が溢れてるような。
「しかしX線を撮直して舟状骨と月状骨の間を見ると、トラックが通れるくらいの広い関節スペースを見つける。つまり重要なのは、その事態を思いつくことです」「思いつく」のに何故三年もかかったのか? - 略 - 「その差を知ることは依然としてアートであり、ギルドなのです。徒弟になり切って匠と一緒に作業しなければ答えは得られません」と彼は言った。
その「喜び」に浸るテプラーはしばしば深夜までオフィスに残り、医学雑誌や教科書を読む。
その「仕事好き感」「やりがい」は、自分と仕事の間にあるもので。まずは、 - メインのやりがい:「よっしゃできた、わかった、どうだこれがおれの仕事じゃー!」 があって、その結果として - 追加ボーナスやりがい:「患者に感謝されんのうーれしー」「社会的な意義がある」
幾らかの勉強と練習と経験を経て、「おれならこの問題を解ける」確信とともに現場で仕事する。 もちろん予期せぬ問題は起きる、だがメンバーと協力しながらアドリブで捌ける。
このように、彼らに「変えようがない現実」を伝達する際には、その「現実」の根拠なる理由を本人に説明できることが大切です。可能であれば、その背景にある「歴史的経緯」「価値観」「思想」なども併せて提示できると良いでしょう。提示する「現実」が曖昧なものだと、現実を突きつけてきた相手に怒りのベクトルが向いてし まい、「現実を受け容れる」ことを阻害してしまいます。この辺は、伝える立場の人間がしっかり勉強しておくことで解決可能なポイントですね。
おれから見たら絶対やりたくない、お医者さんや先生の仕事。 そんな大変な仕事を、建て付けとしての追加ボーナス「社会的な意義」だけで続けれるとわ思わない。やはりそこには、「どうだー、これがおれの仕事じゃー!」のシゴできの実感と誇り、メインのやりがいがあって。 そこから
世間からは大変なことばかりが目につく仕事かもしれませんし、実際に悩んでばかりの毎日ですけれど、あの子どもたちの誇らしげな顔を見られたら、もう何ものにも代えられません。苦労して耕した畑に、やっと小さな芽が出たような嬉しさですから。 その喜びを一度でも知ってしまうと、どんなに厳しい坂道でも「この子のために、もう一歩登ってみよう」と思えるんですよね。
というボーナスのやりがい、に繋がって。それがまたメインのやりがいのための修練にループするようになってほしい。
願わくば、そういうメインの「やりがい」を実感しているシゴでき上司が、まだそこにたどり着いていない修行中の部下に「もうちょっとだけ登れば、触れるこの感じがあるぜ!頑張ろうぜ!」って伝えることを 「やりがい搾取」などと断罪しない社会であってほしい。
ではなぜ、「やりがい搾取」という言葉があるのか。
やりがい搾取
言われ始めたのは2007年。
「やりがい搾取」という言葉は、社会学者の本田由紀氏が2007年頃に提唱したのが始まりとされています。 当時はアニメや飲食、アパレル、介護・保育など、若者の熱意や善意に依存しがちな業界の労働問題としてメディアで大きく取り上げられました。その後、2010年代にかけて「ブラック企業」という言葉が一般化するのと歩調を合わせて、誰もが知るフレーズとして定着していった経緯があります。
2010年の「ブラック企業」とほぼセット。 > 「アニメ」 ってのは「好きなことを仕事にしてるの文脈かな。クリエイティブっぽい仕事をできてるなら、薄給でええやろ、働けや。の。
しかし、「オレ様化」 した子供たちは、 教師が示唆する自己評価の「下方修正」をなかなか受け付けない。 彼らは過大な自己評価を抱いたまま、 無給やそれに近い待遇で(場合によっては自分の方から 「月謝」を支払ってまで)クリエイティブな業界に入ってしまう。
近所で見聞きするので言えば「地域おこし協力隊」とか「ええことやります補助金産業」もかな。 - 幾らかの勉強と練習と経験を経て、自分がその仕事を上手くできる メインの「やりがい」をすっ飛ばして - 本来、結果のボーナスであった「社会的な意義」を与えようとする、または得ようとする文脈での「やりがい」
本来なら、だるい勉強や練習の果てに「おお、仕事できるってこれか、理解した」というメインのやりがいがあって、社会的意義やお客さんからの感謝なんてものは、その納得と成果の土台の上に後から乗っかるボーナスでしかない。 なのに「やりがい搾取」が起きる現場では、この順番が完全に逆転している。
技術を教える気も育てる気もない(あるいは教える技術そのものがない)側が、手っ取り早く人を集めて安く使うために「社会の役に立つ」「夢を追う」「感謝される」というボーナスだけを訴求する。 そんで受け取る側もまた、技術を身につけるためのだるい修練をすっ飛ばして、手っ取り早く「何者かになった感」「いいことしてる感」という耳障りのいいボーナスだけを欲しがる。
技術という中身が伴わないまま、外側の「意義」だけを前借りしているから、現場のリアルな理不尽やトラブルに耐えられなくなって折れる。そして「やりがいを搾取された」と傷つく。 安く買い叩く側が悪いのは大前提だとしても、これは搾取する側とされる側が「中身のないやりがい」を介して共犯関係を結んでしまっている状態なんじゃないかと思う。
メインのやりがいは、選べば得られるような商品ではないです。 「だりーなー」と思いながらも手を動かし、技術を盗み、試行錯誤して、ある日ふと「よっしゃできた」にたどり着いた時の個人的な納得。 100だるいの後の1嬉しい、の納得と楽しさまで「やりがい搾取」という一言で片付けて遠ざけてしまうのは、あまりにももったいない。
センスある先人の罪
どんな職種でもセンスある人間に共通するのはメインのやりがいを優先する(逆に言えばボーナスやりがい[社会的な意義]を下に置く、または最初から興味がない)。意識してるにせよ、無意識にせよ。 少なくともそいつの口が語る「社会的な意義」よりも、そいつの手の技量(シゴでき感)が低くなることはない。
で、センスあるから一般の人たちが普通は苦しむ「幾らかの勉強と練習と経る」期間を、楽しんで通ってしまう。 そこに苦しみを感じず人並み以上にシゴできに成り、外からの知らん間にボーナスやりがいゲットしてしまう。 自身にとっては「手を動かして問題を解く快感(メイン)」は息をするように当たり前すぎて、わざわざ他人に語るほどのものと思っていない(語る言葉を持たない)、だからインタビューなどでは手持ち無沙汰に「社会のため」「夢」といった綺麗なお飾り(ボーナス)を差し出してしまう。 そんでそれは、前段で批判していた
> 「社会の役に立つ」「夢を追う」「感謝される」というボーナスだけを訴求する。
と同じになってしまう。 そいつのことを知ってる同業の2,3流の人から見たら「おいおいおい、普通16時間も仕事せんで、無理無理。」ってなるの。制作系社会人の諸君であれば時々見るのでは?
こう書いてみると、自分もほんのちょっとだけセンスがあったのかもしれない。 医者や先生のようにマジで意義のある仕事ではない、なきゃないでいいエンジニアの仕事なんだけれど。 ちょっとだけセンスがあったかもしれないweb/app制作の人間が15年後に考える、外から見れば
やりがい搾取するブラック企業の価値
20代前半で、ちゃんとスキルアップしてえな、と思って東京の開発会社に転職して、そこの2年が最高にやりがいあって、そっからはずっとやりがい感じて仕事してる。 でも今から思えば、あの2年はめちゃくちゃな時間とエネルギーで仕事してた。そん時は「有能になりたい」が「生存したい」の次の優先順位だったからなんも思ってなかった。
後で聞いたことでは、自分が入る前に同じ部署で、2,3人立て続けに病んで辞めてたらしい。 客観的に見れば、そこは完全に「やりがい搾取のブラック企業」だったんだと思う。遅れまくってる開発の毎日で新人のくせに毎朝「できんかったっす、さーせん」ってPMに報告に行ってた。 上司は「別にあいつらも分かってっからわざわざ報告に行かんでええで」とは言ってたけど。
今、外から見てたら絶対嫌だし、自分の知り合いがそんな環境いたら「転職しろ」って言うし、ニュースで聞いたら「悪い会社やなあ」って思う。
実際折れてる人達もいたから結果論と言えば結果論だし。 基本そういう法律とか一般の労働倫理(?)とかって一番繊細な人を救えるような下限に設定されるべきもの、と言う理解はあるから、そう言う働き方は「だめ」一択。
でもほんと当時はなんとも思ってなかったし充実してたし、だからよく世間も会社もその働き方を止めないでいてくれたな、ありがとう。と思うのも事実。
健全な就業時間で健全な指導で、やりがいにたどり着ければそれが一番いい。 でもそんな - 針の穴を通すような有能企業・有能上司 - 針の穴を通ることができる素質を持った有能新人 を前提に設計するなど、それはそれで無理筋。
現実解としてはどの辺がいいんだろう。
2026の今で言ったら「8時間以上働くのは悪いこと」の常識なので、そこからズレてることはごめんなさいで。 「悪いことやってますごめんなさい。悪いことをやるべきとも思ってないし、やりたくないやつにやらせません。ただ、やっちゃってるおれたちは許してください」とかかな。
1. 「謝罪」に逃げると論旨が弱まる 「悪いことやってますごめんなさい、許してください」という自虐的な落としどころは、直前までのシャープな考察に比べて少し腰が引けて見えます。書き手自身は「悪いこと」をしたいわけでも推奨したいわけでもなく、「シゴできになるための修練の絶対量」と「労働者保護のルール」の間にあるリアルな矛盾について考えているはずです。謝って幕を引くよりも、矛盾そのものを鋭く提示するほうが書き手のスタンスに合っています。
厳しいねえ。 「あん時だからやってた、今だったら絶対嫌」は
年齢がありそう
年を取るごとにいろんなことを知る。プライドも高くなる。 何も知らないし、シゴできないと評価されることとかどうでも良い、そんなことより有能になりたいが存在するは若い頃だけ(若い頃が多い)かもしれない。
結局、「若い時代の気力と体力」という、一生に一度きりしか与えられないエネルギー源を推進力にして第二宇宙速度(地球脱出速度)に到達できたかどうかが、分水嶺になる。第一宇宙速度にすら到達できなかったおっさんは、あとは落下していくしかない。しかし、地球の引力を振り切るまで加速したおっさんは、むしろ多くの若者よりも楽に飛びまわれる。
0. しんどかったらしんどいって言ってね。そうしないとチームや会社が悪者にされちゃう。 1. しんどかったら止めましょう まずはこれ。 2. 頑張れそうだったら、頑張りましょう 次にこれ。
で、1と2のラインの位置が若い時ほど2寄り。 自分では2だと思ってても、潰れちゃったら0をひっくり返しがち(やりがい搾取)。 なので、本人の『まだやれます』を信じ切ってはいけない。
または別の切り口
シゴできは楽しそう。での牽引
シゴできないから見てると、ちょっとシゴできはムカつくけど、レベチなシゴできって楽しそうなんだよ。 やってられっか勢
いやあ六次さんはわかってくれてる! 近頃の長七さんはやかましいですわ。 やれ土の硬さがどうだの 水引がどうだの・・・ 大した手間賃ももらえねえでそんなに真剣になれやしねえですよ
に対して。親方のアプローチ。 上手なやつをチームに加える案。
アイツの仕事のウマさを見れば みんなも土を塗るのが面白くなるかもしれない・・ 源助さんだって。 六次のやつも少しは左官に熱を入れてくれるようになるかもしれない。
おれもこれだったかな。圧倒的な成果物を見て、「おれもそれ作りたい!これ作ったのこいつ(上司)か、どうやってんの??」 やりがいは、会社から与えられるものでも、上司が搾取の口実に使うものでもない。 楽しそうに仕事をする先人に当てられて、勝手にたどり着いてしまうもの
参考書籍
- 神田ごくら町職人ばなし(一巻) 坂上 暁仁 / リイド社
- 医者は現場でどう考えるか ジェローム・グループマン/美沢惠子 / 石風社
- 「叱らない」が子どもを苦しめる 藪下 遊/高坂 康雅 / 筑摩書房
- 知に働けば蔵が建つ 内田樹