世界は誰かの発明でできている
『発明 : アイディアをいかに育てるか』Wiener,Norbert,1894-1964 鎮目,恭夫,1925-2011 のブックレビュー
今この叩いてるキーボードも。macも。 電気も、電話も、エアコンも、ティッシュペーパーもプリンタも、自転車も車も鉄道も飛行機もタンカーも。 目の前にあるほぼ全てのものが、誰かが発明したもの。
匿名デザインのオブジェをひとつひとつ集めながら、そうした物を観察し、一見何でもないフォルムやそれを使う身振りのなかにどれほどの知性が隠されているかを発見することをデザイナーとしての努めの第一歩と考えていたのだ。
常々そういうリアル身の回りにあるものことは気をつけて見ていると思ってたんだが。 まさか数字の桁なんてものを「発明(発見)」として掬い取る視座があるなんて。。
それは大きな数を書き記す場合に、位置の利用が特定の数に特定の記号を使うことを補足できる、ということが発見された時に起こった。位置のこのような利用は、例えば、我々が百二十五という数には125という記号を書くことを可能にしてくれる。この記号法では、一百は左へ二単位ずらした位置に書いた数字1で表わされ、二十は左へ一単位ずらした位置の数字2で、五は最も右側の位置の 数字で表わされる。こうして数字を組み合わせた125 は一百プラス二十プラス五を表わす 。
十進数や二進数や16進数なんてものよりものずっと前。伝達したい/表したい大きさを、数字と位置の関係性で表現する方法の発明。 現代に生きてるおれたち(その時間スケールで言えば著者も現代)にとってはそんなこと空気のように当たり前すぎて呼吸のように無意識で使ってるその仕組みを「それは誰かの発明なのだ」と。
著者、ノーバードウィーナー。
ノーバート・ウィーナーは、「情報」と「フィードバック」という概念を使って、機械と生物を統一的に理解する道を拓いた人物です。 現在の私たちが使っている「コンピュータ、インターネット、自動制御システム、そして人工知能」といった技術は、すべて彼が築いた「サイバネティクス」という礎の上にあると言っても過言ではありません。
ひー、情報工学レジェンドじゃ。アプリ作って飯食えてるのも著者が土台を作ってくれたおかげなのか。ありがとう著者! そんな情報工学界隈でいくつも世界に貢献する発明を生み出してきた著者が、「発明」の周辺を語るのが本書。 ちなみに本書、ほんとに語ってて。口述をアシスタントに筆記してもらって出来上がったんだって。
技術よりも視座を
学ぼうとする時ってせっかちになっちゃう。学ぼうとしてることの、知識や頭の回し方の速さや別のとこへの飛ばし方とか因数分解のセンスとか、手の動かし方や素材の扱い方とかの具体的な技術そのものを見て直で学ぼうとしがち。 (むかーしそれこそ「サイバネティクス」読んでて、「あかんなんもわからんわかる気もしねえ著者頭良すぎなんかおれがアホすぎるんか読んでられっか」つってポイしたことあった) それ自体は悪いことではないんだが。
時々は遠回りになるかもしんないけどせっかち感を抑えて、本書のような「それを作り上げた人」が「世界をどう見ているのか」の視座を取りに行くのも大事なのかも。コスパよく学ぶとかAIとか、ある現代だからこそね。
タイムスケールのコントロールと、その発明した時代/人への憑依力がハンパないんすよ、
発明者を口寄せできるイタコ
イタコの最大の役割は、死者の魂を自らの体に乗り移らせ、遺族に対して死者のメッセージを伝える「口寄せ」です。
お前その時代のその場所におったんか?くらいの現場解像度で、解析していく。 さっきゆってた位取り記数法から、幾何学から天文、積分微分、紙や書体。 もちろんそこには工学の視点がある。素材、費用、社会背景、その他各種制約があるからこその、その発明。
記録媒体と記録ツールの話がわかりやすいかな。 広いタイムスケールと地域にて、媒体とツールがどう発明されてきたか。 普段webやアプリや印刷物で指定するそのデバイスに埋め込まれてる書体、「2026おすすめの書体指定のCSS!」で指定するやつのその起源。 どんな素材に、どんな書体で、それはなぜか。
初期のインドともっと東方の諸国は椰子の葉を大いに利用した。ところが、これは一方向への木目(葉脈)が多すぎるので裂けやすく、多かれ少なかれ丸っこい書体を必要とする。エジプトと後のギリシャとローマのパピルスは、パピルスという草(カヤツリグサ属)の髄を層状にして何枚も張り合わせて作られた。この物質は木目があまり目立たないが、やはり脆くて破れやすい。羊皮紙と子牛の皮で作るベラムは、もっと丈夫で、もっと耐久性のある書写材だった。それらは値段が高すぎるという難点があったので、この書写材の発達に伴うもう一つの代価として、全く尤もなことだが、文字を細かくゆっくりと美術的に書く方法が発達した。これらの書写材は、聖典の巻物用と、ほとんど全く僧侶と金持だけの教養のためには十分であったが、読み書きの広い普及を極めて困難にした。今日ではほとんど世界中に普及している書写材を発見したのは中国であった。それは木目がなく安くて豊富に使え、紙と呼ばれているものである。 - 略 - 紙は、じきに書写材だけでなく、絵画材にもなった。これは注目に値しない。なぜなら中国人は絵画術と書字術をほとんど区別しないからである。
文字数だけ見ると多く感じるけど、媒体4パターン、そのメリットデメリット選択理由、その道具が使用者・使用社会に及ぼす影響。 著者の文章の上手さよ、無駄なく端的に伝える良いせっかちさ。
あるいはルネサンス期へ。
当時の職人は、レオナルド自身も含めて、比較的加工しやすく柔らかい材料ある木材と皮革に目を向けた。皮革はよく役に立つ柔軟な材料で気密性と水密性があるが、決して精密工作に適した材料ではない。木材とその親類の材料である象牙と骨は、ばかにできない機械材料である。それらはよく磨くことができ、場合によっては金属に代われるほど耐性の高い表面を作ることができる。しかし、そのような用途に適する木材は、チークや黒檀やオリーブ材のように概して熱帯産であり、しかもそれら自体が精密な成形には錠前師のやすりを必要とする。レオナルドの時代には、これらの堅い木や木材様の材料は金属より少しも扱いやすくはなかった。もっと普通の、かなり柔らかいかあまり堅くない木材は、鋸と鑿とねじ錐によって精密な形に加工できるが、比較的加工しやすい代わり、比較的柔らかく、しばしば強度が低い。加工しやすい材料は摩耗しやすく、頻繁に取り替えなければ精密な形を維持できない。そのうえ木材は摩擦とそれによって起こ摩損を少なくすることが容易な物質ではない。
文献読んで想像しました、とか当時の材料の数値的な強度はこうです、の話じゃない。 「あんとき材料なくてさ、でもレオナルドの野郎がどうしてもこんなん作りたいっていうからさー、だるいけど作ってやったわけよ、いろんな業者に声かけて無理を聞いてもらって、超大変だったよねあの案件」つって当時の職人に憑依しちゃってる。 考古学や工学っつーより、もはやイタコ。
素材を扱う職人に憑依するように。著者は学者でありながら手を動かす人の制約を理解し手を動かすことを推してくれてんのが嬉しい。もちろんそれはヨイショではなく「発明が起こりやすい土壌がどんなものでその土壌を耕すために必要なのは何か」の解析の上に。 頭動かすやつと手動かすやつが仲良くしてること。つかそもそも基本的なところは一人でできること。
工人かつ哲人
コロンブスの卵を一端で立てることは、コロンブスがその方法を示した後では容易である。これに必要なのは一個の頭脳であり、一千個の硬直した半頭脳ではない。 - 略 - 発明の偉大な時代のためには、工人は哲人にならねばならず、哲人は工人にならねばならない。
発明の第一段階は一人の頭の中からしか生まれない。故に発明をする人間はフルスタックである必要がある。 狭く言えば、理論と実装とマーケとかを丸っと混ぜて考えて閃く。 でも著者の哲はマジで広い哲。
戦中の工学者ゆえに。敵の飛行機を撃ち落とすためにどのように弾幕を貼ればいいか、を課題に理論を発展させながら。(それは自分の国のための献身でもあり、上から言われる義務でもあったろう) ゆっても敵国にも良い学者いるしなあ、直近では戦争に勝たんとあかんのだが、もっと広いタイムスケールでおれたちの発明をちゃんと生かしていきてえなあ、のくだり。
ロシアは今後も長年にわたり、ひょっとすればアイゼンハワー大統領が言った四十年間よりさらに長く我々の主要な敵または潜在敵であるかもしれない。しかし、我々の長期的に見た主要な敵はロシアではなく、食糧と水と知識の不足、人口の過剰と、おそらく原子力時代の副産物の放射性物質により我々が生活している世界が汚染されるという新しい危険とからの絶え間ない脅威の間に探されるべきである。
自分(と、科学者一般)が研究し発明するものことは、戦争っていう短く狭いとこではなく、人類のこの先に良い影響を与えるものであってほしい。 っつーのが伝わってくる。
著者を含むこの戦中のアメリカの学者さんたちの「哲」に対しての姿勢、十人十色(フォンノイマンみたいに振り切ってる人もいる)。 この辺の人たちが書いた本とか登場する本とかまーまー読んでたんだけど、生み出した発明が偉大すぎてその業績に目がいっちゃってた。もっと視座を、世界をどう見ていたのかを、想像すべき。
webエンジニアの話で言えば。 GOFのデザインパターンの本読むなら、具体的なパターン暗記することと共に。 何故にそんなカタログが必要だったのか。なぜそれが建築の話から持ってこられたのか。プログラミングと関係ないように思われる建築家アレグザンダーのいう「なんかいいなって思う空間」とは。とか。
でも逆に言えば、著者はそういう発明周辺の「哲」寄りのことを考えざるを得ない時代と環境のなかに生きたからこそ、じゃあ過去の発明した人たちはどうだったのか考察が必要で、そのためにイタコスキルを体得しちゃって、それが発明を生み出す良いスキルになった。ってとこもありそう。
でだ、「発明」って個人の頭で生まれてから良い感じで社会に定着まで成長段階があって。 (それこそパターンランゲージなんて建築の世界で生まれて、いろんな業界に広まったし) 戦中にあんま良くない動機で生み出されたやんちゃな発明も、未来の「発明」によってパリッとした大人になれるんすよ。
引き取って、改善して、託す
飛行機を発明したライト兄弟とか、まさか他国の上空に爆弾運ぶのに使われるなんて考えてなかっただろうし。 火薬を発明した中国人は、戦争に使う爆弾を作るためではなかった。(悪魔祓いの爆竹、縁日であるやつね)
現在のところ、我々が水素爆弾の魔物を閉じ込める魔法の瓶を作れると期待すべき合理的な根拠はない。とはいえ火薬の歴史を見れば、我々はかつて制御できないようにみえた魔物に出会い、それを支配し飼い馴らす方法を見つけた。事実、今日あらゆる自動車のボンネットの下にあるエンジンは、いくつもの砲身を束ねたようなもので、火薬に劣らぬ強力な気化性爆薬を使うが、その力を有用な目的へ封じ込めているのである。このことは、我々が高度に発達した金属加工技術を獲得したからこそ可能になった。 - 略 - 我々は単生活水準と生活環境の改善のためにだけではなく、将来の文明生活どころか将来の生存を何とか可能にするためにさえ、ぜひともそのような発明に頼らねばならないことが暗に認められるようになったという事実である。
現代の生活は意識的にも無意識的にも無数の発明に支えられてる。 先先代が発明して、危険かもしれないが勇気を持って世界に顕在化して、 先代がそれを引き取って無害化する発明を生み出して、今の世代に渡してくれた もの。
それを今の世代でミスっておれたちが滅ぶならまだしも。 先代が「発明したこれ、ちょっとあぶねえけど、いつかお前らが扱える術を発明するだろうから、渡しとくわ」の期待まで潰して。 次代に何も残せない、って癪だよね。
「頑張りたくないんで、足るを知る生活するっす」の快適消費者生活に入る前に、その「足る」を作った先人の発明を理解してメンテして後始末するための発明だけはしましょう。スマホでSNSして猫動画見てる場合じゃないっす。
サイバネティクスとは「制御と通信」であり、生命もシステムも「常に外部と相互作用し、フィードバックを受け、修正し続けることでしか生存できない(=何もしない静的な『足るを知る』はシステムの死を意味する)」という哲学です。
いろんな業界でいろんなタイムスケールであるんだろう。
短いスケールで見れば、10年前に実装されたコード見ると「うわ、くっそだな」と思うと同時に、それがあったからこそ今おれたちの食い扶持に繋がってるわけで、その時の実装者は一生懸命やったんだ。であれば現代のおれたちが、引き受けるのは当たり前だし。 長いスケールで見れば、今のインターネットのクソな感じを軟着地させる手伝いはせねば。 インターネット時代を作り上げた始祖たちの「情報も技術も公開されるべきであり、使い倒してもっと良い世界を作ろう」の善意を悪く言われんの嫌だ。 今の感じだと100年後の2126年から見て、「1960 - 2030年代クソだったよね」って言われちゃいそう。
まあ、手が動かせる人はそんな小難しいこと考えんでも、やってるやつは息吸うようにやってるんだろう。
良い仕事したい欲は、外から見れば献身
しかし、この目的のためには、科学者は良心と献身性と、自分が自分自身の光によって遂行しうる最善の仕事以下のもので満足することを自分に決して許さない内的衝動をもたねばならない。その使命感は、どんな正式の宗教からも非常にかけ離れているかもしれないが、宗教の真髄を内蔵している。
信心など全くないが、クソ野郎なりに許されるべく。
AIレビュー
「職人=イタコ」論の危うさ: 著者が「イタコになる」ことを推奨していますが、現代において、歴史的な制約を完全に理解して凭依することは「現代人の甘い解釈(ロマン化)」に陥るリスクもあります。当時の苦労を聖域化しすぎていないか、あるいは「当時の制約」を、現代の自分たちの都合の良いストーリーに当てはめていないかという点には、常に自覚的である必要があります。
執筆者は「ロマン化」を否定するのではなく、あえてそれを「憑依」という言葉で能動的に行うことで、歴史を自分事化するモチベーションに変換しています。これは学術的な正確さを競う論文ではなく、個人のクリエイションのための「糧」にするためのレビューであるため、現状のスタイルで問題ないと考えられます。
参考書籍
- アキッレ・カスティリオーニ自由の探求としてのデザイン 多木陽介
- 発明 : アイディアをいかに育てるか Wiener,Norbert,1894-1964 鎮目,恭夫,1925-2011 / みすず書房
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