モードレスデザイン読みづらい問題

『モードレスデザイン』上野 学 のブックレビュー

おれ

倫理軸という補助線を引いてみる

「UX的に〜」禁止令 シリーズ - 「手順」は改善ではなく解体すべき https://savage.vc/articles/39e90cd7-becb-49d5-8939-817f848bc84b - 手順の「解体」「強制」の具体例: https://note.com/_ore/n/nca27f3d9da30

の続き。

web/app界隈でデザインしてる人たちは一度は聞いた、見た、読んだことがあるのではないでしょうかこの書籍、モードレスデザイン。 「読んでみたけど、意味わかんなくて途中で読むの辞めた」 なんて人に向けて。「もっかい読んでみようかな」と思ってもらえるように本記事を書く。なぜなら超良い本だから。

本書のような、いっせーの、でまるっと読者の認識(観点)を変えるような本は理解するのに疲れる。 著者も自覚的であるように、読みやすい本ではない。

観点というのは、共有するのが難しい。観点を得るにはそれを観る目が先に必要だからだ。 言葉を尽くして物語にすればいくらか共有できるかもしれない。それでもまだそれを聞く耳が先に必要だ。
モードレスデザイン / 上野 学

それでも、本を読むことの意味や価値は 「意味わかんねえ」 -> それが意味を成す新しい観点を自分の中に作り上げる(※ここ) -> 「昔のおれは、何が意味わかんなかったのかわかんねえ」 (※ここ) にある。 ので、まだ本書を読んでない人は当記事を読む前にまずは本書を読んでみて。 当記事が本書を読むことで得られるかもしれないその読書の価値を奪ってしまうのは忍びない。

読みづらさ

読者が何を求めて、本書を購入したのか。 「デザイン」という単語が含まれる本を買う時、そこにあるのは「良いデザインをするためのヒントが欲しい、セオリーを知りたい、もっと使いやすいUI(おれでいえばアプリのGUI)を設計したい」であるはず。 そしてそれは具体的な手がかりを探す。例えば「スマホサイズの画面、タッチインタフェースにおいて、TabBarはこうあると使いやすい、なぜなら〜」とか。

本書はそのような具体的な手がかりがほぼない。「モードを作っちゃだめ」くらい。 なので、期待してる粒度(具体)と提供される粒度(抽象)が合わない、ゆえに読みづらく感じる。

山形浩生の『新教養主義宣言』の以下のくだり。東大の入学式で長々とわかりづらい話をする校長先生が、なぜ長々とわかりづらい話をするのか、の説明。こういうのに近い。

蓮實重彦の文は、とてもつらい立場におかれていて、かれが言おうとしていることを普通のことばで言おうとすると、どうしても「人間、結果はどうあれ努力が大事です」とか「やはり結果を出さないとだめです」とか「出会いを大切にしましょう」とか、そういう鼻くそみたいなお説教になってしまう。 それはウソではなくて、一面の真実を持っているんだけれど、どっかできいたお説教だと思われた瞬間に、そのことばはもう頭の芯には届かずにバイパスされてしまう。 - 略 - この議論も含めて、ぼくはかれのやり方とは別の手ロがあると思っているんだ。ぼくはこうやって、なんでもわかりやすくしてしまう。 いい加減な結論をぼこぼこ入れてとりあえずバッファをクリアしながら先に進もうとする。 ことばが届く相手は広がるよ。でも一方で、蓮賞重彦がそのわかりにくさで保存しようとしたインパクトとか、予想外の攻撃とかいう部分は、かなり消えてしまうんだろう。
新教養主義宣言 / 山形浩生/著

前章で書いた「忍びない」の内訳はそれ。 当記事がこれから書く、本書を読むためのいくつかの補助線が、著者がほんとに伝えたかったこと(伝えるためには読みづらさが必要)の大部分を消してしまう恐れがある。

まず入り口から。

おれの問題がなんだったのか

「使いやすいアプリを作りたい」永遠の課題でもある。 でこれ、コンテキストを絞ることで達成しようとしちゃう。例えばユーザの特性(いわゆるペルソナ)や、使う場面(狭い意味でコンテキスト)。

蔵書管理アプリ、であれば。 - リアル本をたくさん持っていて、iPhoneの操作に慣れているユーザが、本を読んでいるときに、気になった一文を抜粋して保存したい時に => 使いやすい。 - 抜粋とともに「メモ」「ページ情報」をその場で入力したいユーザにとって => 使いやすい。 - バーコードの無い時代の古本をたくさん持ってて、手動で書籍を登録するユーザにとって => 使いやすい。

これに対してどうしてたか。仕事では、9割のユーザが9割のコンテキストで使いやすい手順を実装する。で対応してた。これが無限にズレる。 それどころか個人開発では「ペルソナはおれだ」 で作ってるのにズレる。作ってる時は「こうすれば完全に使いやすいじゃん」って思って作ってても、日常使いでズレる。おれのためにおれが作ったおれのためのアプリのはずなのに、「あれ、どう操作するんだっけ?使いづれえなこのアプリ」ってなる。

で、一旦の答えは「手順の解体」だったんだ。冒頭に挙げた記事でまとめてる。

ある製品の使用者が「操作手順がわからない」と言う時、我々は、デザインとして手順が明確でないことを指摘する前に、製品には決まった操作手順があるはずだと使用者が考えるようになってしまったことを憂うべきである。一般に行われているシステムの要件定義は、使用者の行動シナリオを拠り所とするので、製品は手続的でモーダルなデザインになってしまう。しかしデザイナーは本来、使用者が手順を気にせずに済むデザインを考えなければいけない。
モードレスデザイン / 上野 学

平たく言えばOOUIはそういう話。手順が存在しない道具がどうなってるか、その特徴を抜き出すとOOUIになりました、というだけの話。

入り口のここまでは比較的わかりやすいし、分かっていただけるはず。 自分の、蔵書管理を快適に行いたい。青空文庫を朗読で聴きたい。そのゴールを満たす自分が作るアプリだから。 問題なのはここから。

これを出口まで繋ぐ必要がある。 手順のないサービスを自分以外のユーザが使って使えるのか。 で、入り口To出口を一つの「使いやすさ」で通すための補助線「倫理」の登場。

理論ではなく倫理の問題

使用者に何かを「させる」ためではなく、使用者が何かを「する」ためのデザインになっているか。 これは理論ではなく倫理の問題である。
モードレスデザイン / 上野 学

これ最初読んだ時全くわかんなかった。意味わからん。使いやすさは理論でしょうよ。なんで倫理なのよと。 そして本書でまず掴むべき背骨もこれ。この意味の分からなさが成り立つ視点を、読者の中に作り上げる力があるのが本書の魅力。

「使いやすい」を理論ではなく倫理の問題として捉えること。 本書の破壊力はこれに尽きると思ってる。

タイトルでありメインとして語られる「モードを無くそう」は、「道具とは何か」の文脈で参考文献の引用で参照されてるから、先行研究は多くはないにしてもあったんだと思う。 物理道具のように物理制約を持たないソフトウェアが、使いづらくなっていくのはなぜか。その中でも使いやすいものは何か。その特徴はなんなのか。で、「モードレス性」が出てくるのは上手いまとめ方だけど、メインじゃない。

それだけだと、手順の案内がないから「どう使えばいいかわからない」を含み、その「慣れれば使えるっしょ」でゴリっと感がある。 でこのゴリっと通す感じが、普段の仕事で顕在化する。 モードレス/OOUI の設計を提出しても、「いやでも、初見のユーザがそれで使えなくねえ?」「こういう手順にした方が使いやすいっしょ」で潰されやすい。

本書はこの出口までどう通すか/通すべきかの理論の土台に倫理を置いて通したんだ。それがすごいの。

今まで見逃していたコンテキスト

ユーザと仕事の関係性。

「使いやすい」が発生するコンテキストの中で、見逃していたコンテキストがあった。 ユーザがおれたちの作った道具(アプリ) を使って仕事をこなす、目的を達成する。 その時のユーザと仕事の関係性。 「させられている仕事」なのか「している仕事」なのか。

「どーせ誰がやっても同じ仕事だし、早くおわんねえから8時間」なのか、「昨日より上手いことやりてーな、どうすりゃいいんやろな、こうか?いやこうか?おお、できた!」なのか。 なんも考えずに決められたことを決められた通りにやる仕事 (-100) 〜 毎日無限に工夫してみたい(+100) まで。

その変数によって「使いやすい」が真逆になる。 キャベツの千切りを刻むことが仕事でも、どーせ誰がやっても同じだしパッション(-100)であれば、キャベツセットしてボタン押したら自動で動くスライサーが使いやすいし。 いつか店持つから、今のうちにいろんな料理できるように練習しときたいパッション(+100) であれば、よく切れる包丁が使いやすい。

キッチンでバイトしてて、初めて包丁でキャベツの千切りやった時に、板前さんに「おれくーん、こんな豚の餌みたいなキャベセンお客さんに出せるわけないじゃん、お前が食え」って言われて、この野郎(怒)!と思って。 じゃあ手本見せろやって、見せてもらったら確かにおれの1/3くらいの細さでめっちゃ細いの。 すげー、おれもそれやりたい、と思って練習し始めるよね。切れないとリズム刻めないし、変な力入って指切るから、研ぐ練習もするし。 そうやってちょっと包丁使えるようになるだけで、スーパーで魚見つけたら、「お、捌く練習しよう」とか「今日何作ろっかな(楽しみ)」になる。

「使いやすい」道具を作るのなら、ユーザが+側にいて欲しいと思わないだろうか。 もし 0 付近にいるユーザが、+ 側に進むような道具を作りたいと思わないだろうか。

それが、「使いやすい」の土台が論理ではなく倫理だということ。 で、スライサーくらいならいいんだ。普通に便利だし。

問題なのは、 -100 にとって使いやすいとされる、手順が完璧に決められた道具でも、それそもそも-100にとっても使いづらいものがあり、そのことにユーザ自身ですら無意識になってしまっていること。

(-)にとっての使いやすさは機械っぽくなるし、(+)にとっての使いやすさは道具っぽくなる。1作業に対してのインタラクション頻度。

道具と機械の違いってなんだろう。インタラクションの頻度かな。 1作業: 使う人 → 道具 -> 素材への加工等 -> フィードバック -> 道具 -> 使う人 頻度大 > 道具 > 機械 > 頻度小。 電子レンジとか、洗濯機とかは機械寄り。ポチってやっとけばあとは勝手に作業してくれる。 電子レンジはピッてやって 60秒後にチーン! フィジカルな道具、スパナとかスノボの板とかは無限 作業してる間は道具操作と素材からのフィードバックが0.000000001秒くらいで無限に続く。 板前さんが柵から刺身一切れを切る時の包丁の1ストローク(1作業)の中にどれだけのインタラクションがあるだろう(おそらく無意識な)。
思想ラフティング技術ボート | おれ

海辺の事務員

著者が改善を依頼されたシステムのユーザインタビュー。 おれはこのくだりまで読んで初めて「理論ではなく倫理の話」ってのが分かった。

「何か仕事の流れやシステムの使い勝手に問題はありませんか?」と尋ねても、彼らは「ありません」と静かに答えた。数分間使っただけで吐き気がしてくるようなインターフェースを、彼らは一日中、淡々と操作していた。教わった手順に従って、 自分が担当する事務処理を黙々と繰り返していた。不満を表明しない者たちには共通点があった。彼らは皆、小規模な店舗に勤める、パートタイムや派遣など非正規雇用の職員だった。
モードレスデザイン / 上野 学

ユーザを機械とみなし、作業をミスらないために決められた手順を守らせること。 機械のように決められた手順を守ることで行う作業を、自分の仕事とみなすこと。 もしかしたら特別な事象ではなく、むしろほとんどの仕事がそうかもしれない。

おれはたまたま裁量のもらいやすい(ゆえにミスりやすい)web/appのエンジニアという仕事に恵まれてて、抽象的な道具(プログラミング言語とか開発環境とか)を使ってミスったりミスったりミスったり、時々うまくできたり、の試行錯誤することに慣れてる。

だけど。そんな仕事好きじゃないし、ただ平日の8時間を大過なく過ごせればOKの方が多いのかもしれない。

「あんなひどい仕事に就いていても?」 「ひどい仕事? 彼らはひどいなんて思ってないさ。その反対に、いい仕事だと思っているよ。子どもでもできるような簡単な軽作業だからね。頭脳にも筋肉にも負担がかからない。疲れない程度の軽い労働を七時間半やれば、あとは配給分のソーマとゲームとフリーセックスと感覚映画が楽しめる。」
すばらしい新世界〔新訳版〕 / オルダス・ハクスリー/著 大森望/翻訳

仕事に自由なんていらないし、工夫なんてしたくないし、仕事は仕事として脳死でポチポチしてたい。 あるいは自由であることの怖さ。

恐怖。 自分が決めなければならないという、その残酷さと恐ろしさ。
虐殺器官 / 伊藤計劃/著

手順に従っていればなんか事故っても「手順が悪い」で「私は悪くない」に持ってけるのに。

そんな(-)な仕事観をよしとする世界であるなら、「+の意味で使いやすい」道具は、どうだろうか。 いくらでも工夫できるいい道具、ではなく、失敗する可能性をはらんだダメな道具、と認識されてしまう。

とはいえ、いい仕事してもテキトーに仕事しても評価に上がらない (ex 料理長も客もキャベツの太さに違和感を感じないような)職場で働いてる人に「おい、この道具やるから毎日工夫しろよ」っつーは傲慢なことではある。 (-)のユーザ/仕事関係の間に、 (+)の意味で使いやすい道具をねじ込むことも傲慢だし。 かといって(-)の意味で使いやすい道具を渡す(短期的にユーザが喜んだとしても)のも、罪深い。 この辺はまだどうすればいいのか、どうすべきなのか、分からない。 それでもちょっとだけ、誰に評価されずとも、「お、昨日よりうまくできた」の感じを伝えられる道具を作りたい。

だから、制作だけではなく、ユーザと仕事の関係性から変える必要がある。 DXの難しさ。

まるっと変更

- ユーザへのお願い:使い方を変えてもらう。決められた手順で機械的な作業 (-) => ユーザごとに自分の手順と方法での作業(+) - 制作での変更:道具の使いやすさの基準を変える。(-)にとって使いやすい => (+) にとって使いやすい

使いやすさの基準が真逆だから、いっせーので変えないと両方不幸になる。 二次元の平面上で『使いやすさ(手順のわかりやすさ)』を競うのではなく、一段高い次元(『人間と道具の関係性』という倫理の軸)を持ち込むことでしか、このパラドックスは解けない。

この解決策は2×2×2ではなく3×3×3にすることで生み出せると、わたしは結論づけた。技術的な解決にはより多くのピースが必要なことは、既に明かだった。3×3×3は2×2×2を含む。
四角六面 キューブとわたし / エルノー・ルービック/著 久保陽子/翻訳

そのいっせーので因数分解するために次元を上げる、それが「倫理」次元。

しかしそれは、地球中心説でもそれなりに辻褄が合うという程度のことだ。我々は視点を転回しなければならない。人が道具を作ったのではなく、道具が人を作った。これはひとつの事実である。物の側から世界を見る。オブジェクトになる。在るがままのそれを見つけて現す。そうすれば人は、生まれながらの好奇心や見立ての能力によって解釈し、工夫をこらして、自らの意味空間を創造するだろう。しかしこうした態度は太陽中心説がそうであったように傍流なものと見做される。周囲の意識と完全に対立することもある。頭がおかしいと思われるかもしれない。モードレスデザインを実践するには、だから覚悟がいる。
モードレスデザイン / 上野 学

たいそう大袈裟な話になっちゃったけど、そんな感じ。 本書は(-)の意味で使いやすい道具を作るのは世界を(-)にすることに加担しちゃうから、 (+)の意味での使い道具を作ろうと。 ユーザと仕事の関係を+に変えていけるような道具を作ろうと。 そんな倫理次元を頭の片隅に置きながら読むと理解しやすい。

AI批評

AI生成コンテンツ(Gemini)

「傲慢さ」への着地がやや拙速 「海辺の事務員」のセクション後半で、「(-)の人に(+)の道具を押し付けるのは傲慢」「かといって(-)を渡すのも罪深い」と非常に重要なジレンマ(現実の業務システム開発で必ずぶつかる壁)に触れています。 この問題は、DXやB2B SaaSの現場における最大の難所であるため、結びの「まるっと変更」で綺麗にまとめすぎず、「だからこそデザイナーやエンジニアは現場でどう振る舞うべきか(あるいは葛藤し続けるしかないのか)」という筆者自身の暫定的なスタンスがもう少し見えると、現場のエンジニアにとってより実践的な深みが増します。

ミクロな観点はいくつかあって。 試行錯誤のドンマイでは済まない実害のあるデカ目の「ミス」の排除を、「ユーザの手順の強制」ではなく「システムを丁寧に作る」で対応するとか。 例えば必須項目は状態によって変わるはず(下書きならOKとか)だけど、多くの場合システム側の都合でユーザの手順に押し付けてることがよくある。

しかし、ユーザーの都合よりもデータベースの都合の方が優先され、ちょっとしたデータでも、システムに入力しようとするたびに徹底的な家宅捜索並みのセキュリティチェックを受けなくてはならない。- 略 - 効率性はさておき、その裏にはさらに陰湿な問題が隠れている。 データ入力の時点でソフトウェアがデータを徹底的にチェックするということは、ユーザーは吹けば飛ぶような存在であり、アプリケーションこそが全知全能だということになる。 つまり、ユーザーはアプリケーションの利益のために働くのであり、その逆ではない、ということを明確に宣言することになるのだ。人間が技術的発明で作りたかったのは、こんな世界ではない。 私たちは、ユーザーに力と権利を与え、コンピュータは人間のために働くものだということを明確に示したいのだ。
ABOUT FACE インタラクションデザインの本質 / Alan Cooper/Robert Reimann/David Cronin/Christopher Noessel/上野 学/ソシオメディア株式会社

こういうミクロなことはやらねばらないし、今できてないのはそう。

参考書籍