「UX的に〜」禁止令
十数年web/appのフロントエンド作ってご飯食べてるんだが、「UX」は最初からわからなかったし、今も分からない。 「webデザイナー」が、ある時期から急に「UI/UXデザイナー」なんて肩書きになった。
日本で求人票やIT業界の肩書として「UIデザイナー」「UI/UXデザイナー」という言葉が一般化したのは 2012年〜2014年頃 です。
文字の意味で言えば、「UIをデザイン(設計)する」は分かる。 一つの画面の中でどこにどのボタン、どこにどの文章、どの大きさで、どの色で置いていくかを決めること。
では、「UXをデザイン(設計)する」とはどういうことだろうか。
UI(手段・接点):ユーザーの目に見えるもの・触れるもの(画面のデザイン、ボタン、フォント、操作方法など) UX(結果・感情):UIなどを通じて、ユーザーが感じること・得られる体験 乗り物で例えると UI:ハンドル、アクセル、シートの形、スピードメーターの見た目 UX:「運転しやすくて疲れにくい」「加速が気持ちいい」「ドライブが楽しい」という体験・感情
UIをデザインするように、ユーザの体験や感情をデザインする。そんなことが可能なのだろうか。 おれはこれに烏滸がましさを感じる。
烏滸がましさ
「楽しかったな、気持ちよかったな」って思った体験。それは受動的なものではないはず。 前述の > UX: 「運転しやすくて疲れにくい」「加速が気持ちいい」「ドライブが楽しい」という体験・感情 のどれにも、ユーザの能動的な関与がある。
どんな道を(高速道路/下道/山道 etc)、どんな用途で(10時までの会議に間に合わなければ/車酔いする彼女を助手席に乗せながらetc)、どんな感情で(運転好きじゃない / 運転好き etc) 等。 ユーザがプロダクトを利用する時の能動的な関与という変数群のブレを予測して、その方程式と演算結果をデザインできる。 などという前提は、端的に不可能だし、烏滸がましい。
世間ではUXデザイン、 略してUXDという言い方が普通になっている。著者はこれに強い違和感を覚える。 UXというのは、ユーザという 「他人」の経験だ。 他人様の経験を作ることができるなどと考えるのは、 思い上りもはなはだしい、 という気持ちがするからだ。
なぜそんな烏滸がましさが出てきてしまったのか。 web/app制作業界の新しかったから(家具とかの物理道具に比べて)。 新興ジャンルゆえに、制作もユーザ(の批評)も未熟だった。
悪意を持って見れば、低きに流れた。 「UIデザイナー」の肩書きに UX を足して「UI/UXデザイナー」という肩書きにすれば(名刺に3文字増えるだけ) 、見た目だけを整えるようなデザイナーじゃないっすよ。と訴求できる。 「それはお客さんのUX的に〜」という枕詞をつければ、お客さんのことを考えているという免罪符になり、発言に説得力を持たせることができる。
普通に見れば、先行研究が確立していなくて難しかった。 小さな親切、大きなお世話、のおばちゃんの善意のような。みんなに幸せになって欲しくてネズミ講への入会を進める世間知らずの善意な信者。ただユーザのために頑張る人たち。 欠けているのは、 道具の歴史としてみれば超浅い「ソフトウェア」の「使いやすさ」とはどんなものか、の考察。
8 : 2くらいかな。 なので後者の2割に向けて。自分もまだ分かってないし、今も絶賛考察中の、「ソフトウェア」の「使いやすさ」とはどんなものか、について。
「UX的に〜」は制作の現場の言葉ではない
批評の言葉であり、ユーザの言葉だから。 手動かして作りながら考えている「何か」に「UX」と名付けるのは別にいいんだが、それを他者とのコミュニケーションに使うと精度悪い。 ふわっとした言葉で何か伝えた気になって、もっと具体的で有益なコミュニケーションをサボることになってしまう。
自分の周囲にこのバズワードが充ち満ちていて、皆、知ったような顔をしているけれど実はどういうことなんだ、と気になっている場合があるだろう。 土司からUX を頑張ってくれなどと暖味な指示を受けけて困感している場合もあるだろう。 ともかく、UXという概念が多義的で暖味な状態では議論にもならない。
昔、居酒屋のキッチンでバイトしてた時に板前さんに料理教えてもらってて、賄い批評してもらってた時。 「おれくん、自分でこれ食ってどう思う?」 「うーん、なんかまずい」 「お前、そんなお客さんみたいな感想言ってたら一生上手になんねえぞ。甘さ、辛さ、しょっぱさ、硬さ、それが、多いのか少ないのか、調味料にしたら何が、火の入れ時間にしたら、どれが多いか少ないのか、そういう感想を言え。間違ってもいいから。」 そんな感じ。
もちろん大前提として、キッチンの人間はみんな「美味しい料理を作りたい」と思ってる。 自分らの作ったものを食って「美味しい、美味しくない」は感じてる。 だがそれは、美味しいものを作ろうのコミュニケーションの中で使われる言葉ではない。 「塩がたんねえ、焼きすぎ、同じ大きさに切れ、etc」が制作の現場の言葉なの。「もっと美味しくしろ」はナンセンス。
あるいは「美しさ」。 「もっと美しいものを作りたい」はみんな思ってる、だけどそれは現場で使うべき言葉ではない。「もっと美しくしろ」はナンセンス。
デザインの形態美は、 表面上のお化粧づくりからだけでは出て来ない。 内部からにじみ出たものである。本当の美は生まれるもので、 つくり出すものではない。
「それは白く、そして冷たく重く感じた。表面は堂々としていて思い切りがよく、清冽で、完壁なプロポーションを持ち、首尾一貫して無理がない。傷や汚れのない表面とそれを作っている素材とが素直に結びついている。最も安い材料ではなく、 最も良い材料が使われていることは明らかだ。隠そうとした部分も、 ひけらかしている部分も見当たらない。ただ完壁なまでに考え尽くされ、 モノとその機能のヒエラルキーにおいてまったく適切である。一見しただけで、 それがどういうもので、 どのように使えばよいのかが分かる · 完成され、的確である印象を受ける。」
現場の言葉:「モノとその機能のヒエラルキーにおいてまったく適切」を具体的に組み立てるためのコミュニケーションに使える言葉。機能間の粒度/隣接性、それに対してのメンタルモデルを、今使ってるプラットフォームで、どう表示するか。
ユーザ/批評の言葉:「完成され、的確である印象を受ける」
とここまでは「UXという言葉をコミュニケーションに使うな」という否定の説明でしたが。 「UXをデザインする」という気持ちが表している善意、あるいは「UXが悪い」と口にするときの気持ちを違和感の訴求として捉えれば、何かあるはず。 その「UX的に〜」で伝えようとしている違和感を現場の言葉に変換して解体して消せるとしたらどうなろうだろう。
「UX的に〜」を解体する
「おれさんの作るアプリ、UXいいっすよね」って言っていただけることが時々ある。でもそれ聞いてると、 UX(運転しやすくて疲れにくい」「加速が気持ちいい」「ドライブが楽しい」という体験・感情) とは違う。もっと小さく短い時間のものに対しての感想に、UXという言葉を当てはめられてるように思う。
例えば - 単機能:再読み込み - 操作:引っ張って更新 - 認知の配慮: 引っ張りprogressに応じて閾値を超えたら出るアクションへの表示を案内する。Loading中はそのprogressを戻して、Done状態を半分表示する。 とか。
この認知の配慮に対してUXって言われがち。 それは、 一つに見える操作を細かく区切って、その操作の前後の状態がどう変化するか、どう変化したか、を表示に反映、 操作前の状態 -> 操作 (ここを細かくフィードバック) -> 操作後の状態 しただけの話であって、 UXとは違う。どっちかいうとユーザビリティ。
なかには UXをユーザビリティと同じように扱っている場合もあるし、うれしかったり楽しかったりすることをUXだと思い込んでいる場合もある。
ユーザビリティは使いにくいという問題点を無くす、 つまりマイナスをゼロレベルにすることが目標であるのに対し、 ユーティリティは効用や利便性がゼロの状態から、あればあるほど良いと考えられ、ゼロレベルからプラスを目指すことを目標としていると述べている。
現場で使える言葉にするなら - ユーティリティ:どんな機能があるか - ユーザビリティ:その機能を使う操作の仕方/操作中のフィードバックが、どんなものか UX ≒ ユーティリティ + ユーザビリティ この辺が筋がいいんじゃないか。
そんでもう一つ。手順的なやつの最適化。
手順の最適化
ユーザがゴールを達成するための手順はどうあるべきか。これも「UX的に〜」って呼ばれやすい。
で、これも解体すべき。というのがモードレスデザインの設計思想であり、オブジェクト指向UIデザインの具体例。 長くなるので次の記事で。 => 書いた。https://savage.vc/articles/39e90cd7-becb-49d5-8939-817f848bc84b
AI批評
1. 「UXデザイン」の定義に対するやや極端な解釈(ストローマン的な側面) 著者は「UXをデザインする=ユーザーの感情や体験を完全に操作・決定づけること」と定義した上で「それは烏滸がましい(不可能)」と結論づけています。 しかし、本来のUXデザイン(国際規格ISO 9241-210などにおける人間中心設計)は、「感情を直接コントロールする」ことではなく、「ユーザーが望ましい体験を得られる確率を高めるために、プロダクトや周囲の環境(文脈)を最適化するプロセス」を指します。 著者が批判しているのは「UXデザインそのもの」というよりは、「UXという言葉を解像度低く振りかざす人々の姿勢」であり、概念そのものの定義としてはやや限定的(あるいは意図的に過激に解釈している)とも言えます。
「他人様の経験を直で設計できる」って雑な認識とコミュニケーションが嫌なんよ。 他人様の経験がよくなるように、お供できるような道具を作りましょう、そのためにはどんなどんな機能がどんな操作感で作られているべきか。をもっと具体的な言葉でコミュニケーションしたいっす。
これについては例えば 「ファーレンハイトマーケティング」 のサイト(https://www.fahrenheitmarketing.com/design-user-experience/) でも書かれているように、Design for User Experience という言い方が適切だと考えている。 ユーザのUXを良いものにする「ために」デザインの立場から努力しましょう、という謙虚なニュアンスが感じられるからだ。 だから、UXD などといわず、 DUX (ないし DforUXあるいは D4UX)と言ってほしいものだと思っている。 細かいことだし、どうでもいいかと思われるかもしれないが、 こうした細やかな気配りが UX においては大切だと思う。
2. フロントエンドエンジニアの視点に閉じた「UX」の解体 著者が提示した「解体(プルリフレッシュのフィードバックや初期設定手順)」は、主に画面内(UI/画面遷移/マイクロインタラクション)の領域に閉じています。 しかし、プロダクト全体のUXには、「カスタマーサポートの対応スピード」「障害時のアナウンスの誠実さ」「課金体系の分かりやすさ」「数ヶ月使い続けた後のデータのポータビリティ」など、フロントエンドのコードや画面デザインだけでは解決できない「時間軸の長い体験」も含まれます。 「UX ≒ ユーティリティ + ユーザビリティ」という整理は、フロントエンドの現場のコミュニケーションとしては極めて筋が良いですが、プロダクト全体やサービスデザインの文脈から見ると、やや視野を狭めすぎているという反論はあり得ます。
それは想定内。この記事のスコープはそうです。まずは自分の分かる、実感できてる範囲からなので。
「言葉の厳密性」と「チームの心理的安全性」のトレードオフ 著者の言う通り、「UX的に〜」は解像度が低い言葉ですが、非デザイナー(エンジニア、PM、営業など)が「ユーザーの立場に立とうとしている初期衝動」の表れである場合もあります。 あまり厳密に「その言葉を使うな」「解像度が低い」と責め立ててしまうと、非専門家がデザインやユーザー体験について発言する心理的ハードル(心理的安全性)が上がってしまうリスクがあります。「禁止令」を出した後に、「どうやってチーム全体の解像度を優しく引き上げるか」という育成・ファシリテーションの視点が加わると、より実践的になります。
でた、心理的安全性。 でも確かにこれは考える必要があるな。言葉を限定することでユーザに近い現場の違和感の訴求を取りこぼすのは避けたい。 「ユーザのふわっとした違和感の言葉」 -> ※ここのファシリスキル -> 「現場で使える変数群の言葉」。 ふわっとした言葉に嫌悪感を持つこと(他責)を 「ファシリスキルの無さ」(自責)として捉えれば、訓練していけるね。おけおけ。
「UX」という言葉のマーケティング的有効性と副作用 「UI/UXデザイナー」という肩書きが生まれた背景として、デザインの価値をビジネスサイド(経営陣やクライアント)に高く売るための「レバレッジ(交渉具)」として機能した歴史的側面があります。 「UI整えます」より「UXを向上させます」と言った方が予算がつきやすかったわけです。著者が指摘する「低きに流れた(名刺に3文字増えただけ)」という悪意ある見方は真実ですが、一方で業界全体の賃金やデザイン投資を引き上げた側面(罪と功)についてどう捉えるか、というビジネス的視点からの批評も成立します。
おお、面白い切り口。AIちゃんは時々、こういう別の方向からの切り口見せてくれるのが素晴らしい。
参考書籍
- UX原論 ユーザビリティからUXへ 黒須正明/著 / 近代科学社
- 柳宗理エッセイ 柳宗理/著 / 平凡社
- HELLO WORLD アリスローソーン