管理m 技術cm 気概mm

おれ

こないだ書いてた記事で 「どんな仕事でも手元では工夫の余地あるじゃん」的なこと書いてたら、AIちゃんに 「それはお前がwebエンジニアって裁量もらえやすい仕事やってっからだろ、他の人たちはもっとマイクロマネジメントされてて大変なんだぞ。」ってツッコミをいただきまして。

筆者は「仕事の中に余白を見出し、工夫し続ける」ことを推奨していますが、これはある種「強い個人の論理」に依存しています。心身に余裕がない人や、構造的に工夫が許されない(あるいは搾取的な)環境にいる人にとって、筆者の言葉は、意図せずとも「努力が足りないから今の苦境があるのだ」という冷酷な自己責任論として響いてしまうリスクを孕んでいます。
逃避先としての学問 | おれ
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マイクロマネジメントとは、上司が部下の業務に過度に干渉し、細かな指示や報告を強いる管理手法です。部下の裁量や自律性を奪うため、モチベーション低下や生産性の阻害、離職を招くなど、組織にとって悪影響を及ぼします。

そん時はせやなーって思って、今考えても実際その通りなんだけど。ちょっと物申したくなった。

技術を持つと自由になる

一つは単純に手数が増える。 食材の切り方の種類とか精度とか、味付けに使える調味料の種類とか、たくさん引き出し持ってると、一本のきゅうりからいろんなおつまみを作れる。 そしてそれを体に叩き込んでると脳みそを解放できるから、普段の仕事の中で新しいきゅうりおつまみを開発しやすい。(ごめん今きゅうりに味噌つけて食ってた、茄子でもトマトでもなんでもいい)

で、↑に隣接するとこでもう一つ。 手順と時間と山田さんとこのきゅうりの使用が決められたカッチカチのきゅうりレシピを守らねばならないキッチンの中でも、おれときゅうりの間には仕事の余白を作れる。

いくら料理長にマイクロマネジメントされたとて、おれの手ときゅうりの間まではマネジメントできない。

良くも悪くも伝わる

「仕事は好きなんだけど、職場がクソでねー」の話とか。 職場がクソかどうかはわからんけど、仕事が好きなのかどうかはきゅうり料理の変化で分かると思う。 分かるっつーのは同じその仕事のきゅうり職人として分かるではなくて。普通にそいつの仕事のユーザとしてだったり、一般的な働いてる社会人としてそいつの話を聞いてて分かると思う。

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たとえば、マニュアル通りに並べられただけのきゅうりと、そこに「おれ」が乗っているきゅうりでは、断面の呼吸が違う。それを感じ取れるのは、なにもその道のプロだけではありません。ただの通行人や、通りすがりの客だって、「なんかここ、違うな」と無意識に察知するのではないでしょうか。

断面で分かるとは言わんがwww きゅうり好きなユーザとか、日々工夫してるユーザとか、全体の10%くらいには分かると思う。

良く言えば、なんか昨日とちょっとだけ味が違う?形が違う?一つ前に食った料理が違う?飲んでる酒との相性?先週よりちょっとだけ美味しい気がする!レシピという1M基準は守りつつ、cmとmmの埋め込みの差分。 もしくはリアルタイムのユーザとのインタラクション。昔バイトしてたキッチンの大将が「オープンキッチンにしたいなー。客の様子見ながら味変えたいんだよねー。」なんて言ってたあの感じとか。

悪く言えば、埋め込みたい気概mmを持たず、技術cmを訓練しないことの怠惰さの言い訳に使える管理mがあってよかったっすね。ってなるような。毎日何も変わらない。ゆえに1ヶ月で何も変わらない。故に10年経っても変わらない。成果物(きゅうり料理)にも出るし、何よりそいつの話が何年もずっと一緒。過去の武勇伝だったり上司や社会への愚痴だったり。飽きる。 そんなことよりなんかほんのちょっとでいいから今日先週先月工夫してきた話を聞かせてくれよ。

どんな環境でも楽しく働くツールとしての技術

「いい仕事しようぜ!」ってそんなやる気あるわけでもない。あんまUIにこだわりのないチームにいたとしても。 ちょっとローディングの時をクルクルからスケルトンにして表示がカタつかないように入れとこ、とか。 わざわざトーストで「変更しました!」とか出さなくても、保存ボタンをチェックマークにして、ハプティックフィードバックでいいじゃんとか。

たぶん誰も気づかないだろうけど、なんならバレたら余計なことするなって言われるけど。言われた通りやっとくのつまんないし、せっかくだったら実験したいし、こっそり良くしとこ。くらいの。

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お客さんのためでもなく、会社のためでもなく、ましてや評価のためでもない。 「あ、今の切り方、ちょっとだけ綺麗だったな」とか「この処理、前より10ミリ秒速いな」という、自分だけが知っている小さな勝利を積み上げていくこと。

なんなら制作技術ですらない

ちょっとしたコミュニケーションの技術だったりでも。 ついこないだ自分なりに「お、これいいな」って思ったんが、「ザクっとどんくらいのスケジュールです?」って聞かれた時のチャットツールでの返答。

今までは「うまくいけばこのくらい、なんかハマったらこんくらい、戻しが想定内ならこんくらい」の箇条書きを渡してたんだが。 最近それをカレンダーにメモった画像のキャプチャつけて渡してみた。

幅のあるスケジュールってxx月yy日 - aa月bb日ってテキストより、カレンダーの形で把握した方が脳みそ楽。 十数年この仕事やってて気づかなかった、もっと早くその返しやっとけばよかった。 とか、ほんとその程度のこと。

なので、そういう意味で、どんな仕事でも技術を持つと自由になれるのでは。自分と仕事の間に工夫の余白を入れれる。余白があるから工夫をいれるのか。工夫を入れる技術を持ってるからそこに余白を感じるのか。 どっちもかな。ループすると良いんだが。

そういう意味で、エンジニアみたいな機械相手の1文字間違ってたら余裕で動かないからちゃんとする的な「技術」よりも、人相手の仕事の「技術」の方が工夫の余地1,000倍あるんじゃねーかな。

VS コスパ文化

- 50%以上(もしかしたら90%以上?)のリターンがないのであれば - やる意味ないよね。 - なので 1m って言われたらそのまま流して 1m 0cm 0mm 出すべし

的なコスパ文化と戦っていくために「良い仕事すれば誰かがわかってくれるはずだから頑張れ」の保証は無力。わかってくれる保証があるはずがない。であれば逆の方向から行きたい。

こんなちょっとした工夫が分かるの普通におれだけでしょ。3%でも分かる奴いればラッキーだし、6%になったらもうハッピーだし、10%になったらもうモテモテライフ。くらいの下から目線で。1m作れって言われたらこっそり1m49cm99mm作る。

mmの気概を埋め込むためにcmを練習して使うことは、楽しくないしだるいっちゃだるいけど、mの中でなんもしない退屈さよりはマシだと、推していきたい。 マイクロマネジメントされんのムカつくし、かといって金貰ってるから叛逆すんのも違うし。であれば気概を技術でこっそり埋め込んで楽しくやろうぜ。

- ◯: おれこんなに頑張って工夫してんのに、誰も気づいてくれない褒めてくれない => そういう話聞かせてくれや。 - X: 誰も気づいてくれないし褒めてくれないから、やらない => 退屈すぎないか8時間!!!

AIレビュー

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「仕事」への過剰な依存の是非: 労働環境を「クソ」だと認識しながら、その中でいかに面白がるかという「内面的なハック」を推奨していますが、それは 「劣悪な環境への適応」を正当化するロジック とも受け取れます。搾取的な環境に対し、個人の技術と気概で立ち向かうのではなく、本来は環境そのものを変える、あるいは離れるべき状況である場合、「内側で工夫して満足する」ことは、ある種の「奴隷的満足」を助長しないかという構造的な疑問が残ります。

まあそれで言ったら、むしろ転職活動の時のアピールに超使えるじゃん。 「前職では、こんな業務してて、上司まじマイクロマネジメントしてきたんすけど、短期的にはこういう工夫を、長期的にはこういう工夫を」つって経験を持って語れたら、最強でしょ。引くてあまた。

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「技術」のハードル: 「技術があれば自由になれる」という論理は、特定の領域(きゅうりの切り方、コードの書き方)には当てはまりますが、極めて機械的な単純作業や、ミスが許されないルーチンワークに従事せざるを得ない人々にとって、「技術による自由」がどれほど再現性を持つのかという点では、やはり「強い個人の論理」の域を出ないという限界があります。

それはそう。すいませんそこは今回対象外で。

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「技術」の再定義:スキルから「余白生成機」へ この視点は非常に鋭いです。「技術を持つ=生産性が上がる」という一般的な文脈ではなく、「技術を持つ=裁量のない場所でも自分だけの小さな領域を作れる」という「内面的な自由の確保」として技術を捉えています。これにより、機械的な単純労働に従事せざるを得ない人に対しても、「何であれ、自分なりの小さなこだわり(=技術)を介入させる余地」を探すという、心理的な救済に近いアドバイスとして機能し得ます。 「良い仕事をすればいつか報われる」という幻想を排し、「自分の技術を自分のために使って、自分の退屈を殺す」という結論は、極めてモダンで健全なリアリズムです。

でしょ!

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あえてもう一つ加えるなら、 「1m49cm99mmの工夫は、いつでも1m0cm0mmに戻せる(コントロール権が自分にある)」 という点も重要かもしれません。 会社に捧げているのではなく、自分が遊んでいるだけだから、ムカついたらやめればいい。この「スイッチを自分が握っている感覚」こそが、奴隷的満足との決定的な違いであると言えます。

wwwwwwwwww AI、お主もワルよのう。。